iroiroarukedoのブログ

色々あるけど・・・。面白くなかったら、ごめんなさい。

医療と経済 その5

今まで勝手放題に生きてきた爺さんが、どんな目に遭おうが知ったことではない。

でも、いたいけな子どもが辛い思いをしていると聞いたら、「誰かなんとかしてやれよ!」と思う。

そして、セクシーな女の子が悲しい瞳をしていたら、「僕が力になれることはないかな?」。

そういう訳で、健康保険制度と医療技術の進歩は、最悪の組み合わせとなります。いずれも、賞賛されるべき叡智の結実だと考えられていますが、社会の未来へ大きな暗い影を落としているのです。

さて、もうそろそろ、皆さまお怒りのことかと存じます。「誰もわかっていないと人を罵倒し、人類社会の叡智に呪いの言葉を吐き続ける。一体、お前は何様のつもりだ。文句を言うだけなら、誰でもできる。お前に具体案があってのことか!?」

で、私の案を申し上げる前に、これまで一般的に言われている解決法にざっと目を通しておきますね。

一つは、費用対効果の分析。

これは、限られた資源を効率よく分配するには絶対に必要なことで、医療経済学のもっとも大きな分野です。でも、本質的な解決案ではありません。医療にはムダがたくさんあって、それを効率化したらお金が十分に浮いてくる。というのは幻想です。行政のムダ省いたら、増税しなくても福祉予算が出せるはず、というくらいに脳天気な主張です。

もう一つは、コストダウン技術へのインセンティブ。

20年ほど前の産婦人科手術学会では、「市販の手術器具だと高いので台所用品で代用した」などという有意義な発表があったりしましが、医療安全がうるさく言われる現在ではありえません。コストがかかっても、より安全なもの、となります。ただ、それでもうまくインセンティブをつければ、低コスト化に向けて技術開発を促すことはでると思います。しかし、仮にそれがうまくできたとしても、やはり根本的な解決案ではありません。ジェネリックを使っても、一方でオプジーボの開発は続くからです。

あと一つは、混合診療の解禁。

保険で出せるのはここまでだから、あとは自費でよろしく。カツカレーを食べたかったら、カレーライスは保険でいいけど、トッピングのカツは自分で払ってね、というのが混合診療です。もちろん、今でも自費診療はOKなのですが、一部だけを自費でということができません。カツカレーが食べたかったら、全部を自分で払わないといけない。これは、ある種のペナルティのような感じで「自費で自分だけいい目をしたいなら、全部、自費でやれよ」ってことです。
でも、実は歯科では混合診療はよくあります。虫歯の治療をセラミックでしたかったら、その材料部分だけが自費ですね。でも、例外的に認められている制度で、基本的には混合診療は禁止。
そして、医師会も混合診療に絶対反対。医師会が反対しているのは経済的な理由だと思われがちですが、話を聞いていると、根本的には命の平等のイデオロギーが根強いのです。事実、医師会のHPをにも、はっきりとそう書かれています。

で、そろそろ私の考えを言いますね。(次へ続く)

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医療と経済 その4

『アリとキリギリス』はご存知でしょう。この有名なイソップの寓話は、冬になって寒さと飢えに苦しむキリギリスがアリに無心をするものの、「僕が働いている間に、君は遊んでいただろう」と断られて終わります。

でも数年前、ふとしたきっかけで子ども向けイソップ物語の絵本を手にして驚きました。反省したキリギリスをアリが家に迎え入れる、というエンディングになっていたのです。

「このままじゃ、キリギリスさんが死んでしまう。それでは残酷すぎる」と思ったのでしょうね。古代ギリシアに奴隷として生きたイソップが、寓話に託したリアリズムの哲学は、現代福祉国家の論理によって完全に骨抜きにされてしまっていたのでした。

来年の夏からはキリギリスも働かされ、給料からは健康保険料と年金が天引きされることでしょう。真夏の太陽の下に愛と喜びの詩を奏で、冬には枯れ葉の下で朽ち果てて消えていく。キリギリスがキリギリスとして生き、キリギリスとして死ぬ自由は、もうないのです。

健康保険や年金はそういう制度で、ハイエクのいう『隷従への道』です。

健保は入りたい人だけはいればいい。野垂れ死にすることになっても、今、スノボに行きたい。それはそれで、一人の大人の立派な判断。あとで何があっても泣きごとを言わず自己責任で生きる、強い社会を私は願います。

アリは毅然としてキリギリスを追い返すのが、正しい社会の姿なのです。

でも・・・訪ねてきたのがセクシーなキリギリスだったら、ちょっと困ります。

「あのー、パンを少し分けてもらえませんか?」

「・・・外は寒いし、上がっていく?」

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医療と経済 その3

ずいぶん昔の話になりましたが、「薬価差益」という言葉がありました。医者が薬で儲けようとするから薬漬けになる、ということで、国は医薬分業を進めました。調剤薬局バブルが起き、薬の処方はかわらず、余計に高くつきました。

「検査漬け」という言葉もあります。開業医なら金儲けで不必要な検査をという場合もあるでしょうが、高額な検査を次々としているのは、自分に何の利益もない公的病院の勤務医です。

医者や製薬メーカーが金儲けに走るから医療費が高騰する、というストーリーはわかりやすいし、世間のウケは良いですね。だから、それを抑えようとする政策や規制が色々と打ち出されてきました。でも、本当の理由は違います。

高齢化社会だからでしょうか?多少は関係ありますが、高齢化していない諸外国をみても、どの国も医療費の高騰に苦しんでいます。

医療費高騰の最大の原因は、医療技術の進歩なのです。実は、このことは何十年も前から医療経済学者には周知の事実でした。だけど、このストーリーは人気がありません。責める相手がいないからでしょうね。

今や、技術が進歩しすぎて、「いいんだけど、高すぎる」という状況です。しかし、技術があるなら使わないわけにはいきません。

2万円を超える高級トースター「バルミューダ」でパンを焼いたらどれほどおいしいかと私も思うのですが、ちょっと高すぎるので買いません。何十年前から変わらない技術で作られた2千円のトースターで十分です。

でも、これが手術を受ける時の電気メスなら、「こんがり焼けて中はふっくら」の最高級機種でお願いしたいと思います。もちろんトースターだけでなく、全て最新、最高機種で揃えてほしいですから、費用はうなぎ上りとなります。(ただし、全自動モチつき機は要りません)

だけど、そういうと「パソコンとか液晶テレビとか、技術進歩しているけど値段は安くなってるし」って、思われませんか?

これが医療と他の産業の違うところです。家電なら、客がどれくらいまで出せるかを考えて商品開発します。一方、医療機器の技術者は、それで助かる命があるならと、CTをしながら血管造影のできる装置を開発します。

しかし、家電メーカーの若き熱意あふれる技術者が、風呂に入りながらパンを焼けるトースターの開発を会議で提案したら、どうなるでしょうか。お風呂に入りながら、焼きたてパンが食べれたら素敵なバスタイムになりますね。もちろん会議では、部長からこう言われると思います。
「お前はバカか。そんな物にわざわざ高い金を出すような客はおらん。」
(ただし、風呂に入りながら見るテレビはあります。)

でも、医療機器や薬は別です。風呂に入りながらパンを焼くことで助かる命がある限り、医療の技術開発は続くのです。

ピーター・ドラッカーが書いていたことですが、軍事と医療だけは技術革新が低コスト化に向かわない。命にかかわることだから、低価格パソコンなんかじゃなくて、スパコン「京」で治療を受けたいのです。一番じゃなきゃ、ダメなんです!

そういう訳で、医療の技術は日進月歩。世界中で優秀な頭脳がしのぎを削り、毎日のように新しい研究成果が華々しく発表されています。しかし、結局はそのことによって自分で自分の首をしめていることに、私たちは気づいていません。

麻美ゆま嬢が「本当に大切なのは、技術じゃない」と、これほど切実に世に訴え続けているにもかかわらず、いまだに私たちは、技術の向上を願い続けているのです。

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医療と経済 その2

「医療費の高騰」といいますが、これは医療産業の市場規模が拡大していることに他なりません。普通は技術が進歩することも、市場が拡大してることも、喜ぶべきことです。スマホがますます高機能になって売れ行き好調なら、それは明るいニュースです。では、なぜ医療費は問題にされるのでしょう?

資生堂の最高級クリーム「クレ・ド・ポーボーテ」は30gで60,000円しますが、花王ニベアなら169gで415円です。しかし、そのことを新聞は決して報道しようとはしません。でも、オプジーボは「高すぎる」と厳しい批判を浴びました。

ヤマダ電機とかに買い物に行くと、驚くほど多彩な機能の商品が売られています。確かに便利だし、支払いさえ気にならなければ、できるだけ高機能のものを買いたいです。(ただし、全自動モチつき機は要りません。あと、マイナスイオンを出すテレビとかも結構です。)

だけど、自分の財布から買い物をする場合には、「高すぎるから、やめておこう」と思います。でも、医療の世界ではそうはなりません。人の命に関わることですから、このくらいで諦めて、とはならないのです。ニベアでは助からない命がクレ・ド・ポーボーテで助かるのなら、30gで60,000円を受け入れるしかないのです。

もちろん自費診療なら、金の切れ目が命の切れ目。ない袖は振れません。あるいは「同じお金を使うなら、早死にしてもいいからパチンコしてたい」という人だっているでしょう。でも、保険診療だとそうはいきません。

これは皆保険の日本に限った話ではなく、医療にも資本主義が貫徹していると思われているアメリカですら状況は同じです。

アメリカは民間保険ですから、理屈の上では高級なA保険だと助かるけど、安上がりのB保険なら死ぬしかない、ということになります。しかし、いくらアメリカ国民といえども、そこまでの命の不平等は許容できないのです。
「誰かなんとかしてやれよ!」
結果、最初は安かった保険もだんだんとカバーする範囲が広くなり、保険料は上昇の一途をたどることになります。

だけど、保険料が高すぎる。そんな金を払うくらいなら、ミスチルのコンサート行きたい・・・。

いたいけな子どもが不治の病に冒された姿がテレビに映ると誰しも、「誰かなんとかしてやれよ!」と義憤を感じます。しかし、その誰かというのは決して、ビール片手にテレビを見ている自分自身ではありません。

そして、その怒りはもちろん、他の誰かに向けられることになるのです。

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医療と経済 その1

医者が金の話をするなんて、というのが世間一般の受け止め方で、私も経済について語ることは憚られるのですが、医療問題の大半が、実のところは金の話。

金で解決できることなら金を出せば済むのだけれど、一方で、医療費の高騰が問題にされます。医療費高騰が社会問題となっているのは日本だけではありません。世界中の国々が同じ問題に悩まされています。

オプジーボのお陰でやっと理解されはじめたようですが、医療費高騰の原因は、医者のベンツでもなく、製薬会社の接待費でもありません。また、厚労省の役人が無能だからでもありません。(ただし、性格は悪いです。)

皆が手放しで賞賛する、医学、医療の技術の進歩こそが、実は最大の犯人なのです。

これから医療と経済について、何度かにわけて私の考えを申し上げたいと思います。理想の医療を提供することは難しいことではありませんが、そのためには、誰かがどこかからカネをもってこないといけないのです。

昔、弊院に30才前後のやさ男が、お腹の大きい東南アジア人女性を連れて飛び込みでやってきました。明らかに陣痛が始まっています。

今までどこでも妊婦検診を受けていないと言うし、弊院はそもそも高級路線の出産が売り物。救急車を呼んで、医療扶助が受けられてソーシャルワーカーのいる病院に行くように伝えたのですが、

「お金は心配ないです。後で持ってくるから、ここで産ませて欲しい」

押し問答している間に分娩が進行し、無事に出産となりました。でも、産まれたとたんに案の定、

「本当はお金がないから、連れて帰ります」

男は工事関係の職人でとのことで、何を言っても、「仕事がなくって・・・」というだけで埒が明かない。無銭飲食と同じことですので、警察を呼びました。

ところが、やってきた年配の警官は黙って話を聞いていたのですが、聞き終えると私に向かって

「医者が『カネ、カネ』って情けない。医は仁術じゃないんですか!」と一喝。

警官と医療経済について議論しても仕方ないので、話の切り口をかえてみました。

「お金だけの話じゃないです。この無責任な男が、きちんと出生届を出すと思いますか?」

「えっ・・・」

「この子が無国籍児にならないように、法の庇護の下に育てられるように、ぜひ警察にお力添えをお願いしたいのです。」

「それはちょっと、うちの管轄と違うんで」

警官は男に向き直り、

「やっぱり、お前が悪い。妊娠させたら、普通はカネを貯めとくべき。」

 

そういう訳で、皆で管轄署まで行くことになりました。でも、署の刑事が男を尋問しても「仕事がないんで・・・」の繰り返しでどうしようもない。匙を投げた刑事が、

「悪いけど、そこの取調室を貸すから自分で取調べして。」

仕方ないので取調室で私が男と話をし、なんとか親戚に連絡をつけさせることができました。翌日、親戚がやって来て、一言もしゃべらずに金を叩きつけて帰りました。親戚中が男に腹を立てているのでしょうね。

その後、どうなったのだろうかと時々、思い出しては気になっていたのですが、数年して母親がその時の子どもを連れて診察に来ました。

尋ねると、男と入籍して、子どもの出生届も出されたようで、ホッとしました。きちんと保険証ももっています。

「ご主人の仕事も順調そうでよかったですね」と言ったら

「チガウヨ!ワタシガ、夜ノ仕事シテル」

やはり、どこかで誰かがカネをもってこないといけないのです。

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医療とフェティシズム その6

(その6)

みうらじゅんの名エッセイ『人生エロエロ』は、「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」の一文で始まります。みうら氏ほどではないものの、私も人生の6分の4くらいは、いやらしいことを考えてきたような気がします。

産婦人科医だからといって性欲が強いわけでもないし、弱いわけでもない.。まわりを見渡しても、皆さん、別に助平でもなければ聖人君子でもない。いたって普通です。ただ、欲望が医療のフェティシズムに向かわない、向かえないだけなのです。

私にとって診察ベッドの上の裸とホテルのベッドの上の裸では、全身タイツと全身ストッキングほどの違いがあります。

しかし、それでも医師による医療現場での事件が起きるのは、それらの医師の欲動に何かのきっかけでフェティシズムが生じ、そのファンタジーに取り憑かれてしまうからでしょう。よく麻酔中になどという事件があり、いったい麻酔のかかった相手に何が面白いのかと思いますが、まさにそのシチュエーションこそが欲望をかきたてるでしょう。

ファンタジーの中に生きることのできる職業人生は幸せだと先に書きましたが、医師に関する限り、医療フェティシズムのファンタジーに囚われることは最悪の事態となります。

最近の医学部では「患者を物としてみるな」とか「患者の気持ちを考えよ」などと人間教育に力を入れているようですが、私は愚かなことだと思っています。また、羞恥心に配慮するなどと内診を個室に設計したりしますが、かえって気持ち悪いです。ずらっと横並びになった内診室で、「物のように」診察をするのが正しい医療者の姿だと私は信じています。

幸いほとんどの医師にとって、医療フェチはジョークにしかなりません。もちろん、各人それぞれのフェティシズムを心の奥深くに抱えて生きているのでしょうが、それが医療に向かうことはないのです。(ただし、整骨院ものは別ジャンルです。)

以上、長々と「医師とフェティシズム」についての論考を重ねてきましたが、これで終わります。最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

え?ところで、お前は何フェチなんだ?

それは・・・・・、ちょっと言えません。

(写真は本文とは関係ありません)

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医療とフェティシズム その5

(その5)

鴨川つばめの不朽の名作『マカロニほうれん荘』に、こんなセリフがあります。男の夢の職業は、1ポルノ映画の監督、2風呂屋の番台、3産婦人科の医者。

医学生には人気のない産婦人科が、夢の職業とは誠に光栄なことですが、これまでご説明を差し上げてきた通り、現実はとても残念なことになります。これは恐らく風呂屋の番台でも同じで、私からすれば、髪を纏めて湯浴みする女性の後姿ほどセクシーなものはないと思うのですが、風呂屋にしてみれば、いい加減にしろ、という感じでしょうね。

しかし、この中でポルノ監督だけは話が違います。これこそが、真の男の夢の仕事だと私は思うのです。たとえば小説について考えてみて下さい。小説を製本する印刷屋は本の背表紙に何の感慨もないでしょうが、小説家は自分で自分の本を読んで感動することができます。

ポルノ映画はそれ自体がファンタジーです。ファンタジーに移入することができなければ、作品をつくることができません。「AVに素人男性を出しても、実際には現場で萎えてしまうから使えない」という話を読んだことがあります。AV男優が可能なのは、AVの世界が自分の性的ファンタジーと一致するからです。舞台俳優が感情移入して真の涙を流すように、AV男優もファンタジーの中で別のものを流すのです。

あるいは料理人などもそうかも知れませんが、自分の夢想するファンタジーを作り出す仕事ができるのであれば、それは最も幸せな職業人生です。いわゆるクリエイティブな仕事が今も昔も人気なのは、そのためではないでしょうか。

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