iroiroarukedoのブログ

色々あるけど・・・。面白くなかったら、ごめんなさい。

EBMについて その6

シュレディンガーの猫」ってご存知ですか?量子力学の確率解釈をするための一つの思考ツールです。

超ミクロの世界では粒子の居場所を確定することができず、一つの粒子が同時に複数の場所に存在します。変だけど、A地点とB地点に50%ずつ存在してるということです。だけど、観察する時点ではAかBのどちらかなのです。

これはキャバクラの指名を考えていただくと、理解がしやすいのではないでしょうか。

指名した女の子が席を立ったと思ったら、なぜか別の席に座っている。

戻ってきてから指摘すると、「違うよ!私も本当はずっとこの席で一緒にいたい。だけど、呼ばれたから仕方なく行ってきただけ」

で、どちらのテーブルの伝票にも指名料は100%ついています。

まあそれはともかく、粒子がAテーブルにいるかBテーブルにいるか、観察の時点では必ずどちらかのテーブルにいるけど、それまではどちらにも50%ずつ居るとしかいいようがない。

猫のいる部屋に粒子を放り込んでドアを閉める。Aテーブルに粒子が座ったら(毒ガスのスイッチが入って)猫は死ぬ。Bテーブルに座ったら大丈夫。

ドアを開けて観察する時点で、粒子はどちらかに一方に座っている。

でも、ドアが開くまではAテーブルとBテーブルの両方に、同時に50%ずつ粒子は「現に」存在している。

超ミクロの世界の粒子はそれでいいけど、猫はどうなる?

生きている確率は50 %、死んでいる確率も50 %。この猫は、生きている状態と死んでいる状態が半々で重なりあっていると解釈しなければならない。そんなバカな・・・・。

もちろん、直接の関係はありませんが、EBMのことを考えると、いつもこの話を思い出すのです。

人間の思考でしかない数学が自然界をこれほどまで記述できてきたことは驚きですが、一方で、確率と決定論について人間が理解が真の理解に至ることなどあるのだろうか。ハイゼンベルク不確定性原理ゲーデル不完全性定理など科学の限界、人間理性の限界が明らかとなった今・・・・

とか、大げさな話は実はどうでもよくて、そもそも統計、それも生命科学の統計というものが、ちょっと胡散臭いのですよ。

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EBMについて その5

「死ぬまでに乳がんになる確率は12人に1人って、私は大丈夫でしょうか?」

そう外来で聞いてきた患者が男性だったら、医者はこう答えるでしょう。

「お大事に」

もちろん男性の乳がんもありますが、12人に1というのは、女性についてのこと。そんな馬鹿げたことを聞く人がいるものか、と思われるでしょう。

不妊外来で一番よく聞かれ、一番困る質問が「妊娠率はどれくらいですか?」

ご存知の通り、18才と48才では大きな違いがあります。年齢層によって確率が違うのですね。

そうか!

というわけで、「層化」して条件を合わせたら、各年齢層での確率を知ることができますよね。でも、妊娠率に影響を与えるものは、それだけじゃありません。子宮筋腫や内膜症が合併していると妊娠率は下がります。

ですので、当然、もっと条件を加えて、より精度の高い確率を算出しないといけません。

年令、性別、身長、体重、仕事、食生活、既往症・・・・

どんどん、確率が変わっていきます。一気に確変モードに突入です。でも、おかげでますます、正確な確率に近づいていっています。

性格だって治療に関係することもあるでしょう。調べておいた方がいいですよね。

「人一倍、気を使う方だ?」
「はい」
「気丈に振舞っているけど、本当は寂しがり屋?」
「はい」
「だけど、あなたの本当の魅力に周りはまだ気づいていない?」
「はい」
「真実の愛を探している?」
「それって、もしかして・・・・」

そう、あなたのことです。

最も科学的な答えを求めて、詳細に前提条件を付け加えていくと、最後はたった一人の人間、あなた自身になってしまうのです。

もはやそこに、統計は存在しません。

画像に含まれている可能性があるもの:夜
 
 

EBMについて その4

中学校の確率の授業の時でした。数学の先生が、こう言ったのです。

「ギャンブルをする人がいるのは、期待値というものを理解していないからだ」

この言葉は、私を悩ませました。確かに駅前のパチンコ屋に朝から並ぶ客で、「期待値」が何かを知る者は少ない。でも、彼らは本当に確率を理解していないのか?

EV(x)=Σpxという記号が何を意味しているかわからなくても、「パチンコ屋の社長は巨額脱税の常連で、客はサラ金の常連」(当時)ということを知らない者は誰一人いないはずです。

「期待値は賭け金を下回る」と言うかわりに、彼らはこう言うのです。

「絶対に店が儲かるようにできとるからな」

だとしたら、どうして彼らは日課のようにパチンコに通うのでしょうか。なぜ、人はギャンブルに魅せられるのでしょう。もちろん、単なる気晴らしということもあるでしょう。でも、それだけならスマホのゲームでも同じこと。ギャンブルの本当の論理、本質的な意味とは何なのでしょうか?

答えは、賭け金に対して最も期待値の低いギャンブル、宝くじにありました。

年末ジャンボ宝くじ1等、7億円に当たってしまった人に期待値の話をしたら、どういう答えが返ってくるでしょうか。

「本当は宝くじを買うっていうのは、バカげたことなんだよ」
「ぐふっ。ぐふふふっ。」
「償還率は50%以下。半分以上が取られちゃうんだ」
「ぐふふふふふ・・・・・・・・・・・・・・・・・」

1回切りの人生、今更どうせ、いい事なんかあるわけ無い。でも、当たれば一発逆転。この論理の前に、確率は無力です。

正義のユニットEBMは「命にかかわることだから、インチキ治療は許さない」と確率の力で戦います。でも、命にかかわることだから、それぞれにとっては1回きりの人生だから、そもそも確率という概念に意味があるのかどうかさえ、明らかではないのです。

でも、他に何の拠り所もなかったら、確率を根拠にするのは当たり前だろう。そう思われるかも知れません。だけど、本当に確率って、常に同じなんでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「期待値は75%。やっぱりパチンコって馬鹿らしいよな。」

時間つぶしにパチンコ屋に入った男はそう呟くと、投げやりに残りの玉を打ち切り、その行方も追わずに席を立った。

そして、男が台の並ぶ通路を抜けたところで、その台は激しく光を放ちはじめた。男は気付かずに角を曲がったが、台は確変へと突入していた。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、室内

EBMについて その3

理系の人にはおなじみのキム・ワイプ。日本製紙クレシアより発売されている実験器具の汚れ拭きペーパーです。近年、科学者の間では卓球にも活用されるようになり、国際キムワイプ卓球協会なる団体も設立されました。http://jp.iktta.org/

しかし科学の世界には、もうひとつ重要なキムがあります。キム・カセツ、漢字で表すと「帰無仮説」です。

ところで、AKBとNMB、どっちがじゃんけんに強い?
「じゃんけんに強いも弱いもないだろう、一緒じゃん」
そう思いますよね。

これが帰無仮説。すなわち、一見強いように思えても、きちんと検証すればその差は「無に帰すであろう」という仮説。

では、実際に10回じゃんけんをして、結果をみてみます。
あれ、NMBの方が2回多く勝ってる。
「たまたま、じゃん」

でも、100回やってNMBが20回多く勝ったら・・・。
「イカサマしてない?それに、審判だってNMBのファンだし」

そこで、審判をHKTのファンに変えた。そして、1000回やってNMBが200回多く勝ったら。
「・・・・・でも、俺、じゃんけん弱いAKBも応援したい・・・」

帰無仮説は棄却され、真理への道が開かれたのです。

これこそが、正義のユニットEBMの必殺技、double blind RCT(Randomized Controlled Trial )、二重盲検無作為比較試験の原理なのです。不正ができない状況で試験を行い、正しく検定しp値を求めることによってインチキ治療を駆逐し、科学の力で真理を追求する。

「これが真理だ!・・・・・99%」

昨年、10月にパリで強盗にあい10億円相当の宝石を奪われたというキム・カーダシアン。マンガみたいな話で99.99%狂言だと思われていましたが、本日、犯人グループが逮捕されたようです。

自動代替テキストはありません。

EBMについて その2

EBMにとっての真理とは、「科学的である」ということ。でも、科学といっても、所詮は人間の思考の一様式に過ぎません。では、なにが科学という様式を特徴づけているでしょうか。

カール・ポパーは、反証可能性こそが科学の本質だといいました。すなわち、実験・観察によって、ある言明に反する事実が確認されると、その言明は誤りとなる。

「重いものほど早く落ちる」という説は、ガリレオピサの斜塔の実験によって反証されました。斜塔から落とされた重さの違う二つの球は、いずれも同時に地面に落ちたのです。

「ワインを3本飲むと人は倒れる」という説は、何度も反証されるのをこの目で見てきました。

「火の中に手を入れるとやけどする」という説は、絶対に反証しようとしないほうがいいと思います。

さて、地球からエセ科学の撲滅を誓う正義のユニットEBMが、勝利への道を歩み続けていたその目の前に、ある日、一人のアイドルが彗星の如く現れたのです。

2014年3月、AKBが『前しか向かねえ』で通算3000万枚のCD売上という快挙を成し遂げた翌月の4月9日、記者会見場のカメラの砲列の前で彼女はこう宣言しました。

STAP細胞は、あります」

世界がどよめきました。「小保方さん」こと、小保方晴子氏の反撃が始まったのです。

数多くのファンが見守る中、陋習に凝り固まる科学界の権威に向かって、戦いの幕が切って落とされたのでした。

果たして、どちらが科学的真実なのか。でも、ポパー反証可能性についてもう一度考えてみてください。反証されうるもの、つまり、いつか反証されちゃうかも知れないものだから「科学的」。ということは、科学的理論って言ったって、今のところ反証されていない仮説に過ぎない、ってことになりますよね。結局、科学は真理ではなく、単なる仮説の集合体。再現実験ができなかったとしても、そこには「STAP細胞は存在しない」という仮説があるだけなのです。

例えば、笑気ガスによる麻酔を発見した若き歯科医ホーレス・ウェルズは、1845年、ハーバード大学で大勢の聴衆を集めて公開実験を行いました。しかし、麻酔深度が不十分だったために被験者となった患者は痛みで逃げ出しました。ウェルズは物笑いの種となり、3年後、失意の内に自らの命を絶ちました。米国歯科医師会、医師会がその功績を認めたのは、それから20年ほど経ってからのことでした。

STAP細胞は本当にあるかもしれない。科学界は小保方晴子氏に不当な非難を浴びせ、償うことのできぬ恥辱を与えてしまっているのかも知れないのです。

でも、そんな心配は杞憂に終わりました。

「小保方さん、かわいい」

ファン投票の圧倒的な結果によって、科学の反証可能性は脆くも崩れ去ったのでした。

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EBMについて その1

EBMってご存知ですか?AKB、SKE、NMB、HKT に続くアイドルユニットのことかと勘違いされるかも知れませんが、「Evidence Based Medicine」、日本語に訳すと「証拠に基づいた医学」のことです。

最近、DeNAの運営するサイトが嘘の健康記事を載せていたという報道がありました。「肩こりの原因は幽霊かも?お祓いしてみては?」などと書いてあり、「デタラメの情報を流すな」と批判を受け、サイトは閉鎖へと追い込まれました。

しかし、大川隆法氏に言わせれば、「幽霊が原因の肩こり?確かに、よくありますね」ってことになるでしょう。

また、医者が外来で面倒くさいときに「原因はストレスかも知れないですね。無理し過ぎなで下さいよ。」とか言うのも、あまり違わないとう気もします。

医学の世界には、デタラメの話がたくさんあります。そもそも、近代に入るまでは病気になったら、医者にかかるより放っておいた方が長生きできる公算が高かったのです。(現在も、たまにそんな病院があったりします)

デタラメなことなんて世の中にはいくらでもあるし、「騙し騙され、色々あるから人生だよね」と思います。でも、確かにこれは人の命にかかわること。

医療にデタラメは許さない!

そういうわけで、真実を明らかにして患者の健康を守ろうとする正義感の強い医師たちによってEBMが提唱され、世界中でまたたく間に広がって一大ムーブメントになったのでした。

学会で、研究会で、医局会で「その治療法にエビデンス証拠)はあるのか?」を合言葉に医師たちは、昔から惰性でなんとなく続けてきた治療法、思いつきのアイデアで始められた治療を断罪し始めました。

科学の目で突き詰めて見れば真理は一つ。患者の利益のために、有効性に科学的な根拠のある治療以外はしてはならない。

だけど、大川隆法氏はこう言うでしょう。「うちも『幸福の科学』なんですけど。」

科学の手法はどうして、真理を明らかにすると言えるのでしょうか?

それに、もし科学が真理を明らかにするものだとして、本当に真理は一つなのでしょうか?

「確かに、『まり』ちゃんだと思っていたら『しんり』ちゃんだった。そんな話ってよくあるよね」

もちろん、そんな話ではありません。

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医療と経済 その6

私の案を申し上げる前に、もう一度だけ議論の整理をさせて下さい。

高齢者の延命に高額の費用がかかっている、モンスターペーシェントのために救急外来がたいへんだ、救急車をタクシー代わりにつかう輩がいる・・・・・。

確かに、その通りですね。でも、これらは今の議論と何の関係もないのです。医者が儲け過ぎとかいう話と同じで、本質とは関係ありません。厚労省の役人が無能というのも違います。(ただし、性格は悪いです)

医療技術の進歩で助かる方法はあるけど、お金はそこまでない。これだけが本質です。

シンプルに考えてみて下さい。

100人の村がある。みな良い人だ。
技術進歩でガンの痛みがなくなる薬ができたが、100万円する。
自分がガンになったときに100万円も出すのは大変だから、皆で保険を作った。

皆、安心した。

次に、ガンの進行を5年遅らせる薬ができて、値段は300万円。
長生きさせてあげたいから、皆、旅行もガマン、外食もガマン。保険料をアップして、なんとか薬を買ってあげれるようになった。

皆、頑張った。

次に、ガンが治ってしまう画期的な薬ができた。でも1千万円。

もうこれ以上は、誰も保険料を払えない。

「気の毒だけど、俺、やっぱりUSJ行きたい。ごめん、本当にごめん」
だけど何人かの金持ちは、ガンになったら自分で1千万の薬を買うことができる。

これだけの話。で、どう考えるか?

命の平等が絶対なら、金持ちが自費で薬を買うことも禁止すべきってことになりますね。でも、そこまでは言えない。金持ちだって、自分の命のことです。

そもそも「保険」でしょ。平等のために作ったわけじゃないし。

それに、金持ちが1千万で買わないと薬の進歩は止まります。確かに技術の進歩こそが問題で、次の薬は2千万になって、ますます手が出なくなるかもしれない。だけど、高望みせずに今のレベルの薬でもいいというなら、もっと安くなっているかもしれません。

一方、自費で治療を受ける方も、気兼ねします。私も歯医者の待合で虫歯の治療に何を使うか聞かれて、「セラミックでお願いします」というときは、周りに気兼ねして小さくなってしまいます。

普通は逆ですよ。女の子のいる店でシャンパンを頼んだら、隣の客が小さくなる姿を尻目に女の子の肩に手を回し、勝ち誇って乾杯します。・・・でも、隣にロゼが運ばれてきたら、次はこちらが小さくなる番です。

結局は、平等意識の問題だけなのですね。要点を煮詰めると、ほんとにそれだけ。

だったら「混合診療はダメ|もし自費で追加の治療を受けるなら、最初から全部、自分で払ってもらうからな」などとかセコい嫌がらせをするんじゃなくて、自費診療の金額に応じてを賦課金を徴収し、保険財政に組み入れるようにしたらいい。

つまり、自費に「課税」して、保険の足しにしたらいいんじゃないですか。

本当に自費の金額が捕捉できるの?、とか技術的な話はさておいて、こうすれば、治療を受ける方も気兼ねしないし。受けられない方にも目に見えるメリットがあります。

なにより、不平等感の解消がポイントですね。だって「不公平はいや!」っていうのが、全ての根本原因なんですから。不平等はなくならないけど、ちょっとマシになる。

飲み屋街の蕎麦屋がホステス同伴の客に「他の店で高いの金額を遣ってるんだから、うちでも高い蕎麦を食べてもらわないと不公平!」って考えるのと、同じ論理です。

「医は仁術」という時には必ず、「赤ひげ」が引き合いに出されますね。山本周五郎の『赤ひげ診療譚』を原作とし、黒澤明監督で映画にもなり、医師の理想とされる姿を描いています。

でも、「赤ひげ」こと新出去定(にいできょじょう)が貧者から金を取らずに治療を施すことができたのは、金持ちから法外な料金をとっていたから。

取られる方からしたらどうかとは思いますが、まあ、それも社会正義の範疇とも考えられる。

ですので、その混合診療バージョンだと思っていただければ、「仁術」を制度化したものといえなくもないかなと思うのです。「医は仁術」と言うは易くも、現実にはムリ。とりわけ現代の医療は高度化していて、莫大な設備と人員と資金を必要とする巨大なシステムです。先立つものがあっての話ですから、制度設計に理念を取り入れるのが、せいぜいだと思います。

以上が、私の具体案です。別に誰でも考えつく内容かと私自身も思うのですが、どういうわけか、今まで同じ意見を見たことがありません。

なので、政府の諮問委員会に呼ばれるのではないかと密かに待っているのですが、今のところ政府からの連絡は、マイナンバーの通知だけです。

 

長々と、この6回にわたる与太話にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。優れた技術進歩によって、逆に困ったことになっているのがお分かりいただけたでしょうか?これで「医療と経済」を、終わりたいと思います。(あと、全自動モチつき機は本当に要りません)

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